モクモクおきば

ふと思ったことをカキカキ

そもそも

そもそも、

ただその場その場 楽しく生きて

一生を終えたいだけなのかも。

 

よく、

これが天職だとか、

生きがいだとか、使命だとか

 

そんな話が 飛び交っては

カッコいいと思ったり、憧れたりする。

 

でも それって、実は

結果論なのではないだろうか。

 

その人が

辿ってきた 足跡を振り返って

今いるところを含んで、

天職だったんだとか、生きがいだったんだって

気づいただけの話なのかな。

 

だから、

天職を求めて、使命を求めて

歩いたわけではなくて。

 

 

とりあえず 私は、

そんなものを求めたところで

彷徨い歩いて疲れるだけな 気がしてくる。

 

何かを求めて 右往左往。

 

時には

そんなことも必要かもしれないけれど、

そんな崇高なものを掲げようとしなくたって、

もっとシンプルで いいのかもしれない。

結局は 自分がカワイイ

時に、泣きたくなったり

自分のこと わかってよ! って思ったり

 

勘違いされたくない

嫌われたくない

 

そんな風に 思うときがある。

 

でも、一方で

もう自分のことが大キライって思ったり

自分のことを、

今まで存在していなかったかのように

みんなの記憶から消してしまいたくなったり、

人にとって 迷惑かけてしまったかもと

罪悪感でいっぱいになったり、

もう全て投げ出してしまいたくなったりする。

 

そんなに

自分の存在を 否定しているときだって

裏を返せば、

もう傷つきたくないし、失望したくないという

本当は 自分のことが カワイイからなんだ。

 

結局は

人のことを思って

こんな風に自分を粗末にしているよ と言ってる

皮をかぶっているだけなんだ。

 

あぁ、タチが悪いなぁ。

 

 

人のために 自分を犠牲にしている は

自分の上っ面のエゴを満たすためや

怖いからっていう理由で

本音を犠牲にしているだけ。

 

もう 気づけば

そうやって生きてきたから、

自分の心の声なんて

今にも 消えそうな声でしかない。

 

雑音にまみれて

何が自分の声なのかも わからない。

 

 

だから、今からでも

とりあえず 出てきた言葉は

一つ一つ拾い上げていこうかな。

 

それが、どんなに醜く思えても

何か訳あって、出てきたんだと思うから。

自分を正当化したいだけ

頭で ぐるぐる考えているとき。

なんやかんや尻込みして 行動に移さないとき。

 

今の そんな自分を

正当化したいだけだな って。

 

ありのままで良いんだよって言ったり、

弱い自分だって良いじゃん て言う人がいる。

 

でも、真逆のことを言う人もいる。

ありのままで良いと言うけれど、もし食材だったら ある程度 調理してから人に出すでしょう とか、

昨日の自分と比べて良くなっていく、そうやって成長するんだって言う人もいる。

 

それに対しては、どこか 先の

高みに幸せがあると信じて進むより

今ある 周りを見渡して

ささやかな幸せを感じるだけで充分じゃないか

という話もある。

 

どちらも、理にかなっているのかな。

きっと どちらも含んでいるんだろう。

 

何か きっぱりと

100%ハンドルを切らなくてもいいのかも。

 

両方の色を混ぜて。

現実は xとyだけの平面じゃなくて

多元的なんだろう。

 

なんだか、

話が逸れてしまった。

 

 

とりあえず、やたら

自分の言葉が 頭で踊っているとき、

口先が ゴニョゴニョとしているのは

正当化したいんだなって思う。

 

それで 安心したいのかな。

自分を納得させたいのかな。

今の自分を 本当は肯定したいのかな。

でもどこかに、後ろめたさがあるのかな。。

 

 

不思議

いろいろなことが

不思議に思えてくる ときがある。

 

まず、

自分に この2本の手と足が生えていて

表面が、なんだか柔らかくって、

つまめたりして。

こんな肉体を持って、

物体に囲まれながら暮らしているのが

不思議になるときがある。

しかも重力があって、

フワフワ浮いていったりせず、

全部下向きに ひっついてるんだ。

 

世界は、こんなにもカラフルなのも不思議。

赤から紫までの、

色鮮やかなバリエーションがある。

他の生物からしたら、

違う風に 見えているかもしれない。

 

赤やオレンジだったら

なんとなく暖かく感じて、

青や紫は 冷たく寒く感じたり。

草木の緑に対して、

人のピンクやオレンジがかった血色の良さが

対照的で。

 

色だけでも

こんなに表情豊かに、

人が感じることがある。

 

それは、科学的に

いろいろと説明がつくのかもしれない。

生物学的に、今まで子孫を残して、

繁栄していく上で都合の良いように

進化していったのかもしれない。

 

でも、

そんな風に多様化していったこと自体も

その科学の存在自体も、

言っちゃえば、この宇宙があることですら

不思議だな。

 

 

宇宙は どこにあるのかも分からない。

 

本当は、どこかの

巨大な生き物の 体内にあるかもしれないし

 

どこかの

実験施設の フラスコの中かもしれない。

 

もしくは、世界は ただ

映し出されているだけのものかもしれない。

 

人は、

いろいろなことを 知っているように思うけど

実は、知らないことって多い。

 

そんな中で、

人の世界を、社会を作って

様々な ドラマを繰り広げている。

 

もし、この世界を

外から眺めているものが 居たとしたら

いろいろな上演を

スクリーンに映し出して 見ているのかな。

 

 

そういえば、

あの世の話を、昔の人は

天国と地獄と 言ったりしてたけれど、

離れた国であっても、

同じように言われてきたのが

不思議だなぁって思う。

 

だって、死後の世界が

ひたすら 自分が好きだった音楽が流れる中、

よく分からない空間を漂っている

とかでも良いじゃないか。

 

もしくは、

箱庭のような現世を

死後の世界の人は外から 眺められるとか。

 

全部 一緒くたの光になって

はい終了〜とか。

 

いろいろ想像できるじゃん。

 

人間、国は違っても

考えることは一緒 ってことなのかな。

 

もしくは、

だから今、良い人でいなさいよという

戒めや強制力に使っていたのかな。

久々に...

ずーっとブログを放置して早一年。

今日思い立って、書いてみようと思った。

 

最近、自分のことを考えてみたり、

人にメンタル強くした方がいいんじゃない?

って言われたり、

本をいろいろ読んでみたりで、

頭の中が ごちゃごちゃとしている。

 

今、自分の言葉に目を向けることよりも

無意識か、それとも故意にか

他のもので頭を満たして、目を逸らそうとしている気がする。

 

特に、あまり誰にも読まれていない このブログで、飾らず、浮かんでくるもの そのまま言葉にしてもいいんじゃないかと、ふと思った。

 

続けるかもわからない、

今回だけで、また言葉にするのを放置してしまうかもしれないが、今 浮かんだことだけでも、書いてみようと思う。

 

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今、自分は

遅れてきた反抗期だか、思春期のようだ。

いや、反抗期とも思春期とも言えないのかもしれない。

 

両親と離れて、一人暮らしをすることで

やっと見えてくるもの、気づくことって多い。

 

近くにいた時は、当たり前だったこと、

何も疑わず、考えずに過ごしてた世界、

なんとなく不満に感じていたが、

飲み込んだり 親のせいにして済んでいたこと、

 

そういったものが 一気に

枠から飛び出し、目の前に現れてくる。

 

そして、この頃は

手軽にネットで、様々な情報が手に入ることもあり、世界が一気に広がったと同時に、価値観や情報は溢れ返り、比較対象も広がり続けている。

 

それはまるで、拡大し続ける広大な宇宙のようで、自分はどこへ向かっていたのか、また どこへ向かいたいのか、よく分からなくなってしまったようだ。

 

そこには、たくさんの刺激と 面白そうなこと、興味をそそるものが散らばっている。中には ブラックホールの膨大な引力、その底なしの闇に魅了され 覗いてしまったら最期、抜け出せなくなってしまうものも、あるように思う。

 

宇宙には、良い悪いで分けられるものはない。

 

そこにはただ、無数の星が煌めいていて

その周りには、それ以上の惑星や衛星たちが

ただ存在し 軌道を描いているだけである。

 

引力によって惹かれあい近づくもの、

逆に 離れていくもの、

そうやって自然と 無数の集団ができていく。

 

今までは

この地球、いや

地球の中の 日本しか知らなかったものが、

初めて、宇宙の存在を知ったかのよう。

 

自分は この果てしない宇宙で どのように泳ぎ

また どのように生きていくのか、

何をもって 自分を満たすのか、

何が正しいのか、

そもそも正しいは、必要なことなのか

 

あまりにも、曖昧で

理解できていないことの方が多い。

 

 

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今日は

この辺にしておこうかな。

 

不安が おっきくなるとき

多分、今は
自分が本当に大切にしたいもの
が わからなくなって、

他の不安や その他のものが
大きくなってしまっているのかも(*´ω`)


でもまぁ、そんな時があってもいいよね。

そういう時が来ないと、

何が自分にとって本当に大切なのか、
もう一度改まって考えることなんか、
あまり しないからね。


そして、答えはきっと
日々を経て
変わっていくものなんだろうな(*´꒳`)

今日の、ブルーがまじった気持ち

私はやっぱり、

人を心から信頼したり、好きになる前に、

「自分を丸ごと受け入れてくれる人なんて

いないんじゃないか」

っていう意識がどこかにあるから、

もしかしたら、

いつまで経っても 独身でいるかもしれない。

 

でも、自分が良ければ良いと思っている。

 

私にはヴァイオリンがある。

ヴァイオリンがあって良かったと思う。

そうでなかったら、私は私の現実に

耐えきれなかったと思う。

 

また、今まで人に

面と向かって伝えられず

封じ込めた感情も、

ヴァイオリンを通してなら、

思う存分やっていい

 

ヴァイオリンは、ある意味

私の避難所でもあり、テラピーでも

あるんだ、きっと。